久保建英出身高校はどこ?中学校・小学校・幼少期・経歴一覧がヤバイ

久保建英 高校

久保健英選手の、出身高校、中学校、小学校、幼少期などのエピソード始め、経歴などを紹介していきます。

オリンピック選手であり、今日本のサッカー界で一番注目を浴びている久保健英選手。

サッカーに関しては幼少期の頃からすでにエリートコースを走っていて、アスリートとしての強い精神力も小さいころから鍛えられていたようです。

飛びぬけた抜群のサッカーセンスを持っており、強気さと精神もずっと日本にいただけのプレイヤーでないことも一目瞭然わかる人です。

久保建英出身高校はどこ?

久保建英選手の高校は実は不明なのです。

小学校から中学校などは動きが異端すぎて凄すぎて公開されたのかもしれませんね。

高校はあくまでも噂ですが、和光高等学校ではないかとされています。

でもどちらにせよ、全日制から途中で通信制の高校へ転校しているようです。

この通信制は、茨城県にある第一学院高校であろうという感じです。

サッカーの香川選手や、柿谷選手もこの通信高校の卒業生なので、この情報は堅そうです。

全日に一瞬通ったのは、実は堀越学園高校の噂もあったのです。

おそらくすでにサッカー漬けだったため、普通の高校ではないであろうというのは固いようです。主にサッカーをするため前提の人生で学校がその次にくるので、堀越のような特殊な学校や通信制を選択したと思います。

高校時代の所属先

高校時代の所属先は、高校一年生でFC東京トップチームの登録をしていてJ3デビューしています。

そして16歳5ヶ月でJ1デビューを果たし、前代未聞の昇格でした。

高校生で飛び級にてアンダー20の日本代表に選出されるのも異例のことでした。

成績

通信制の高校ということもあって、サッカーもこのころはかなり本格的な状況になってきていたので、高校卒業できるレベルの勉強は最低限していたのでしょう。

日本代表などでもあったので、文武両道は大変だったでしょうね。

エピソード

高校ではもうサッカー専念のため、通信制に行っているので、ほぼサッカーのエピソードしかない状態ですね。

16歳5ヶ月でのJ1デビュー、高校生で飛び級にてアンダー20の日本代表ということがすごすぎる最大のエピソードでしょう。

久保建英の出身中学校は

久保建英選手の出身中学は、二つあります。

まず10歳でバルセロナに渡っているので、バルセロナの私立中学校に通っていました。

そして、いろいろな問題に巻き込まれ帰国して、川崎市立西生田中学校に入学します。

この巻き込まれ問題はちょっとした不運でしたね。

バルセロナのクラブチームはFIFAの規定で、未成年外国籍の選手の正式登録ができないことになっていました。それでここにいる一年半、出たくても試合には一切出られない状況が続いてしまったのです。

だから日本に帰る決意をしたのがこの時期です。

それでも10歳から中学の半ばまで海外ですでにサッカーをしているとかかなりスゴイですよね!生まれながらの天才がさらに努力して挑戦しているからこそ、今の久保健英選手があるんだなと納得できますよね!

中学校時代の所属先

中学校時代では、バルセロナから帰国したあとは、FC東京の下部組織に入って、中学校3年生では、FCアンダー18に飛び級で参加。クラブユースで史上初の得点王にも輝いています。

成績

当時の先生が言うには、勉強もしっかりしていたということです。

最近のスポーツ選手は、スポーツの能力がある人ほど勉強もできているという人が多いのです。何かをできる人はこれもできると考え癖がついていて、諦めない力などもスポーツ以外でも発揮されることもわかりますね。

エピソード

当時の先生が語っていたのは、運動神経はずば抜けてよかったようです。何をさせても全部できてすごい状態だったと。

でも久保健英選手は、特別待遇や対応を嫌う生徒で、一生徒としてみんなと一緒に扱ってほしいという姿勢だったとのこと。

中学時代はサッカーの遠征や合宿も多くて、学校を休むこともしばしばあったそうです。

ただ、学校に来られた時は、友達と一緒に校庭でとっても楽しそうにサッカーをしていたようで、友達たちも、久保健英がいると楽しいとみんな言っていたとのことです。

ずば抜けたセンスと実力を持ってもはや有名な選手になっていても、周りとの協調性もあって、人間性もできているってすごい人ですよね。

久保建英の小学校は

久保健英選手の小学校は、川崎市立西生田小学校です。

2008年4月に入学しますが、4年後の2012年には、バルセロナの小学校へ転校します。

サッカーのための転校ですね。お母さんと弟さんと一緒に移住、お父さんは仕事のため単身で残ることになったようです。

小学校時代の所属先

久保健英選手の小学校の時の所属先はいくつかあります。

まず小学校2年生では、東京ヴェルディ1969スクールにいて、8月にはバルセロナのキャンプに参加します。

3年生では、川崎フロンターレの下部組織に入団、4年生になるとFCバルセロナのカンテラに入団するために留学ということになります。

成績

小学校での成績は、半分は日本で半分はバルセロナになります。

これといった情報はないのですが、スペインという国は小学生でもできなければ落第というのがあるシステムです。小学生でスぺイン語もわからないのに、通常通り学年がUPできているということはおそらく優秀だったのではないでしょうか。

久保建英サッカーきっかけは幼稚園?

サッカーの実力もすごいですが、小学生というまだ幼い時に海外に住むということをできる自信や勇気もすばらしく、アスリートとしての素質がこのころからあったとしか思えないですね。

当時の写真をみても周りが外国人だらけだけど、凛々しい顔立ちで凛と立っている感じが、小学生だとは思えない強さを感じました。

10歳の時にサッカーの実力がすでに認められ、バルセロナに渡航します。

しかし、当時の論争に巻き込まれて帰国に追い込まれることになります。

幼少期には、両親にとてもたくさんの経験をさせてもらっています。

サッカーはもちろん、座禅、レスリング、水泳、ラグビー、陸上、カヤックなど。

お父さんはサッカーを365日やっている人だったのでサッカーは自然にやっていたのでしょうね。

このような経験を両親からたくさん積ませてもらっている中で、自分はサッカーがしたい!と幼稚園の時に宣言したところからがスタートです。

早速ご両親はその想いに応えるべくさまざまな手段で最高の環境を与えていますよね。

今の久保健英選手があるのは、ご両親の提案、環境、キッカケがとっても大きく影響していることがわかります。

久保建英の経歴一覧

久保建英選手の経歴を一覧にしてみたいと思います。

久保建英の経歴一覧
2007年 川崎FC入団
2008年バルセロナキャンプ参加
2011年バルセロナ下部組織入団
2015年アンダー15日本代表メンバー選抜
FC東京アンダー15入団
第30回クラブユース選手権優秀選手ノミネート
2016年アンダー18公式デビュー
中学生で得点王に輝く
2018年アンダー19に飛び級で日本代表入り

まとめ

東京オリンピックをみて改めて久保健英選手のすごさを感じた人がたくさんいると思います。

この幼少期からの取り組み、学生生活の中身、サッカーに費やしてきた時間、環境などを見ていると、いまの久保健英選手がいるのが納得できますよね!

才能があり、それを伸ばすための努力も惜しまず、常に先へ先へとチャレンジし、結果も納めてきている精神力も実力もずば抜けている選手です。

まだまだ若いので、次のオリンピック、ワールドカップもかなり楽しみです!

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